
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる
紫草の生える野を行き、御料地を行きながら、野守が見ているではありませんか。あなたがそんなに袖を振るのを。
額田王
万葉集 巻1-20

天平宝字三年 正月一日
因幡国庁にて
「新しき年のはじめの初春の今日ふる雪のいや重け吉事」
この歌は、天平宝字三年(759年)の元旦、因幡国(現在の鳥取県)の国守であった大伴家持が、国庁での新年の宴席で詠んだものです。
当時、雪は豊年の兆し(瑞兆)とされていました。降り積もる雪を目の前にして、家持は「この雪のように、良いこと(吉事)もまた、重なり積もってほしい」という願いを込めたのです。
年が改まり、全てが新しく始まる元旦の清々しさ。
雪が降り積もるように、良いことが幾重にも重なることへの祈り。

栄光と孤独の狭間で、
言葉を紡ぎ続けた貴公子
大伴家持(718年頃 - 785年)は、奈良時代の名門・大伴氏の嫡流として生まれました。 祖父は安麻呂、父は旅人という歌人の家系に育ち、自身もまた繊細で感性豊かな歌を数多く残しました。
若き日は華やかな恋愛歌を詠みましたが、やがて政治の荒波に揉まれ、一族の衰退を目の当たりにします。 彼の歌風は次第に、人生の哀愁や無常観を帯びたものへと深まっていきました。
大伴家持をはじめ、柿本人麻呂、額田王など万葉集を代表する歌人の名歌を収録。
キーワードやテーマから、千年の時を超えて響く心の歌を探すことができます。
新しき年のはじめの初春の今日ふる雪のいや重け吉事
あらたしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしげよごと
新しい年のはじめにあたって、このようなきれいな雪が降りつづいている。今年もこのように美しい良い年でありますように。
春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも
はるののに かすみたなびき うらがなし このゆうかげに うぐいすなくも
春の野に霞がたなびいて、なんとなくもの悲しい。この夕暮れの光の中で、鶯が鳴いていることだ。
わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも
わがやどの いささむらたけ ふくかぜの おとのかそけき このゆうべかも
私の家の庭のわずばかりの竹群に吹く風の音が、かすかに聞こえるこの夕暮れであることよ。
うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独りし思へば
うらうらに てれるはるひに ひばりあがり こころかなしも ひとりしおもえば
のどかに照っている春の日に、ひばりが空高く舞い上がって、私の心は悲しい。独り物思いにふけっていると。
春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ乙女
はるのその くれないにおう もものはな したでるみちに いでたつおとめ
春の園の桃の花が紅に美しく咲き映えている。その木の下の道にたたずんでいる乙女よ。
験なき物を思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし
しるしなき ものをおもわずは ひとつきの にごれるさけを のむべくあるらし
どうにもならないことを思い悩むよりは、一杯の濁り酒を飲むほうがよいらしい。
夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ
なつののの しげみにさける ひめゆりの しらえぬこいは くるしきものぞ
夏の野の茂みにひっそりと咲く姫百合のように、人に知られない恋は苦しいものです。
銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも
しろがねも くがねもたまも なにせむに まさるたから こにおしかめやも
銀も金も宝石もどうして優れた宝である子供に及ぶだろうか(いや、及ばない)。
海行かば水漬く屍山行かば草生す屍大君の辺にこそ死なめかへり見はせじ
うみゆかば みづくかばね やまゆかば くさむすかばね おおきみの へにこそしなめ かえりみはせじ
海を行けば水に漬かった屍となり、山を行けば草が生す屍となろうとも、大君のお足元でこそ死のう。後ろを振り返ることはしない。
あしひきの山下響め鳴く鳥の声聞くごとに君を偲はむ
あしひきの やましたとよめ なくとりの こえきくごとに きみをしのわむ
山の麓に響き渡るように鳴く鳥の声を聞くたびに、あなたのことを思い出すでしょう。
東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
ひむがしの のにかぎろいの たつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ
東の野に明け方の光が差し始めるのが見えて、振り返って西の空を見ると、月が傾いて沈もうとしている。
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む
あしひきの やまどりのおの しだりおの ながながしよを ひとりかもねむ
山鳥の垂れ下がった尾のように長い長い秋の夜を、私は一人寂しく寝るのだろうか。
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
にぎたつに ふなのりせむと つきまてば しおもかないぬ いまはこぎいでな
熟田津で船を出そうと月が出るのを待っていると、潮の流れも良くなった。さあ、今こそ漕ぎ出そう。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる
紫草の生える野を行き、御料地を行きながら、野守が見ているではありませんか。あなたがそんなに袖を振るのを。
田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりける
田子の浦を通って視界の開けたところに出て見ると、富士山の高い嶺に真っ白に雪が降り積もっていることだ。
多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき
たまがわに さらすてづくり さらさらに なにそこのこの ここだかなしき
多摩川にさらしている手織りの布のように、さらにさらに、どうしてこの子がこんなにも愛しいのだろう。
父母が頭掻き撫で幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる
ちちははが かしらかきなで さくあれて いいしことばぜ わすれかねつる
父母が私の頭を撫でて、「無事でいなさいよ」と言ってくれた言葉が、どうしても忘れられない。
君待つと我が恋ひをれば我が宿の簾動かし秋の風吹く
きみまつと わがこいおれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく
あなたを待って私が恋しく思っていると、家の簾を動かして秋の風が吹いてくる。
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ
おうみのうみ ゆうなみちどり ながなけば こころもしのに いにしえおもほゆ
近江の海の夕波に千鳥が鳴くと、心がしおれるほどに昔のことが思い出される。
憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむ
おくららは いまはまからむ こなくらむ それそのははも われをまつらむ
私、憶良はもうおいとましましょう。家では子供が泣いているでしょうし、その母(私の妻)も私を待っているでしょうから。
貧しさに耐え忍びつつ暮らしつつ思ふことはただ君を思ふ
まずしさに たえしのびつつ くらしつつ おもうことは ただきみをおもう
貧しさに耐えながら暮らしているが、私が思うのはただあなたのことだけだ。
磯の上のつらら如衣あらずしてまたも我が君衣貸さめや
いそのかみ つららごところも あらずして またもわがきみ ころもかさめや
磯の上のつららのような薄い衣ではなくて、またもやあなたは私に衣を貸してくださるだろうか。
石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
いわばしる たるみのうえの さわらびの もえいづるはるに なりにけるかも
岩の上を激しく流れる滝のほとりのさわらびが萌え出る春になったことだなあ。
百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
ももづたう いわれのいけに なくかもを きょうのみみてや くもがくりなむ
磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日限りで、私は死んで雲隠れしてしまうのだろうか。
家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
いえにあれば けにもるいいを くさまくら たびにしあれば しいのはにもる
家にいれば器に盛るご飯を、旅にあるので椎の葉に盛ることだ。
名門・大伴氏の栄光と没落の中で、家持を支え、影響を与えた人々。
父・旅人や叔母・坂上郎女との深い絆が、彼の歌を育みました。
都での華やかな生活から、地方官としての赴任まで。
家持がその生涯で訪れ、数々の名歌を残した場所を地図で辿ります。

春の野に
霞たなびき
うら悲し
この夕かげに
鶯鳴くも
春の夕暮れの美しさと、そこに漂う得体の知れない悲しみ(春愁)を見事に表現した、家持中期の傑作。
かささぎの
渡せる橋に
おく霜の
白きを見れば
夜ぞ更けにける
七夕伝説の「かささぎの橋」と宮中の階段を重ね合わせ、冴え渡る冬の夜空と霜の白さを幻想的に詠んだ一首。
海行かば
水漬く屍
山行かば
草生す屍
大君の辺にこそ死なめ
大伴氏の武門としての誇りと、天皇への絶対的な忠誠を誓った長歌の一部。家持の強い意志が込められている。